第6感持ってる?第6感を自分なりに考察してみた

どーもhappy boyです。

今回は科学的根拠のないものを信じない数学脳の僕が第6感の存在について独断と偏見で本気で考えてみました。

まず、今まで神様と交信、宇宙とつながることができる人と何人かあったことがありますけど、正直理論的には論破できそうなことが多かったので、個人的にはそれは第6感と呼ぶ根拠に乏しいかなと。

幽霊を感じることをできるというのも、本人の勘違いの可能性、幽霊が存在しない可能性など全てを納得するのに個人的には少し難しいのかなと思います、正直。

僕の納得の行く第6感とは多くの人が論理的に納得のできるもの。

 

では第6感とはなんでしょうか?

それはたぶん感情かなと。感情を受け伝えする感覚。

感情も一つの感覚だとは思いませんか?喜び、悲しみ、怒り、幸せ、これらは私たちが持ってる感覚で、それを伝えることができたと思うのです。

それは言語なんじゃないの?という人もいるかもしれませんがだったらなぜ言語は第6感に数えられないのか。それは偽ることが容易だから、言語はあくまでも言語であって感情ではく、感情を表現する道具でしかないから。

たとえば「悲しい」という言葉を例にとってみましょう。色んな悲しみの種類があると思います。友達の別れ、親との死別、病に侵される、四肢を失う、などなど。これらは全て悲しみだと思うのですけど、種類は違うし、なかには怒りを伴う悲しみなど、悲しみという言葉だけで正確な感情を相手に伝えることはできません。

だから、お前の気持ちなんてわかんねーよ!なんてよく耳にしますけどそれはそうですよね、言葉で理解しようなんてできない。感情は感覚で感じるものだからそれを感じようとすれば、もっと感情を感じることができるはず。

 

例えば、こんな経験はありませんか?

この人と一緒にいるとなんか楽しいとか、周りが楽しくないのに自分一人楽しめない、別に楽しいわけじゃないけど周りが楽しいとなんか楽しい。

別に悲しいわけじゃないのに誰かが悲しんでいると悲しくなったり、もらい泣きしたり。

 

そして大昔、人類が言語をもっていない頃、それでも人類はコミュニケーションをとっていたことは事実だと思います。

 

僕の考える第6感は誰もが持っていて、それを表す単語や説明がなく、今や言語が使われているから、必要とされずに、衰退していった感覚。感情を感じる、伝える能力なのではないかと。

 

 

日本人の僕がベジタリアンになった理由

どーもhappy boyです。

今回お肉好きの僕がベジタリアンになった理由をお話しします。

①自分を変えたいと思った

②お肉を食べるということに本気で考えた

③自然環境について考えた

大きく分けるとこの3つが理由になると思います。

 

①自分を変えたいと思った。

オーストラリアで一人旅を初めてした時に、一人旅で自分を変えようと、いい人間になろうと考えました。その時、自分の考えを(選択)変えよう。これが第一歩だと思いました。

当時旅をしていた僕は十分なお金がなく、なんとか節約して生活をしていかなければなりませんでした。その時に気付いたのです、もし自分が好きなもの(欲しいもの)を買えば高くつく、でも必要なものだけ買えば節約ができる。

欲しいものを買うのではなく必要なものだけ買おう。

必要なもの=本当に欲しいもの

すべての買い物をするときにこれを意識するようになりました。

これが僕の考えの変化の第一歩です。そしてベジタリアンとしての芽生えだったとおもいます。

 

②お肉を食べる事について本気で考えた

僕の本気は本当の本気です。お肉がなんなのかを考えました。もちろん動物、生き物。僕だって生き物で、猫だって、犬だって動物。なぜ牛とか豚とか鶏を食べるのだろうか?おいしいから?だったら殺していいのだろうか?栄養があるから?だったらなぜペットの肉は食べないのだろうか?

お肉を食べないと生きていけないのだろうか?きっとそうではない。お肉を食べなくても生きていける。

ではなぜお肉を食べるのか?自分の答えはただおいしいからだけでした。

みんな食べてるからいいではないか?みんながやってるから正しいとも間違ってるとも思わない。他人なんて関係ない。大切なのは自分にとってどういう意味なのか。

それは必要なものではなくて欲しいものだったのです。

それから、お肉を見る時に動物の痛みを考えるようになってしまったのです。

でもこれは現実の想像ですよね。

 

③自然環境について考えた

綺麗な自然と海や川、森が大好きな僕としてはこの素晴らしい自然を守りたいと考えたのです。家畜を行うと糞尿問題が起きます。特に牛の家畜はメタンガスを大量に発生させて、深刻な環境問題になっています。

 

僕はお肉を食べることが悪いとは全く思ってないです、正直。僕は元理学療法士なのでお肉がどれだけ身体に良いかもわかってますし、おいしいかもわかっています。今ですらお肉料理をみればおいしそうだなと思います。でも食べることはないです。

ただ思うことはお肉を食べすぎることは必要ないのかなと。そんなに食べても吸収できませんし、なんなら身体に悪いこともありますよね。

もしあなたが少しでもこの記事に共感してて、少しでも考えが変わればあなたの世界は変わると思います。

 

 

 

神々の住む島バリで神様と交信ができる人に会った時の話

どーもhappy boyです。

今回は神々の住む島バリで神様と交信ができる人に会い、一緒に瞑想をした時に僕の思った感想と考察をお話しします。

 

その人はオーストラリア人で職業は非営利団体の社長、女性の方です。

彼女との出会いを簡単にお話しします。

バリにはヨガバーンといって、ヨガや瞑想などをする公的なスピリチュアルな人が集う、スピリチュアルな場所があり、そこにもともと知り合いだったオーストラリア人の友達とジンジャーティーを飲んでる時に出会いました。彼らはお互いオーストラリア人なのですぐに意気投合し、それに便乗するように知り合いになるのがきっかけでした。

happy boyの僕はどうしてhappy boyになったのか、自分が瞑想好きとか、瞑想で気付いたことなどを話すると、今度一緒に瞑想しようとすごく軽いノリで誘われたので。すかさずオッケーしました。

その後、彼女と話をしていくとどうやら彼女は神様との交信をしたことがあるらしく、今までに3回できたのだと。どういう風に?と聞くと、まずは宇宙と繋がり、その先に神様との交信があると。何を得ることができたの?と聞くと、正確には教えてくれませんでしたが、自分が何をするべきなのか、自分を見直していくことなど。そのあと彼女は自分はわがままで、他人にもう少し配慮をしていかないといけないなどと話をしていました。

ほう。いとおかし。

これが僕の初めて彼女に会った時の素直な感想です。

僕は数学脳なので科学的根拠のないことは簡単には信じられないので、無信仰で神様も正直信じてなかったから、これは今度の瞑想は楽しくなるなとぐらいに考えてました。

 

そのあとも彼女の不思議な行動は続きます。自分が食べるものすべてに宇宙からのエナジーを注ぐのです。食べる前、食べ物の上に両手をかざして目をつぶり、約10~20秒程度何かをしている。何もしてない可能性もある。

彼女はどうやら霊気が使えるらしく、その霊気を左肩にしてもらったのですが、何も感じず。それは僕が感じれなかったのか。彼女が霊気を持っていなかったのか。

そんなこんなで初顔合わせは終了しました。

 

瞑想当日、ホテルを予約し、瞑想は2人だけで行い、できるだけ人の少なく、自然の多いところで行いました。お互い10時間瞑想することは普通だと、事前の会話で分かっていたので始めは、人のいなくなったプールサイドで2人瞑想を始めました。途中子連れの親子が来たりしましたが、いったん中止して再度瞑想を行い、彼女に特に変化もなく、僕もただいつも道理に迷走をしていました。

どれくらいったことでしょうか、時計を確認していないのでわかりませんが、およそ4、5時間経過したころ彼女に動きがありました。

彼女は部屋に戻って瞑想をしたいと言い出したのです。僕は思いました、ついに彼女にその時が来たのだと。

 

そのあと彼女を追いかけることなく僕はプールサイドで瞑想を続けたのですが、およそ2,3時間後に喉の渇きの限界が来てしまい水分補給をするために部屋に戻りました。

部屋には優しい音楽が流れ、彼女は部屋のベッドに横たわり目を閉じ、両手をお腹の前に組んでまるで寝ているようでした。

僕が部屋に入るとそれに気づいて、僕が調子はどう?と聞くと彼女は、とてもいい。と答えました。とてもやさしいオーラとともにまだ近寄りがたい空気があったのを覚えています。

 

お互いの瞑想が終わり、聞きました。交信はできたのかと?彼女はできたと。とても短い時間だった、環境がもっといい場所であったらよかったと思う。と彼女は答え、自分が今後やっていくべきことがより明確になった。ほんとにいい時間が過ごせた。と付け加えました。

 

そして僕は思いました。彼女はそれをどうして神様だと判断できたのだろうかと、神様じゃないかもしれないし、もしかしたら悪魔かもしれないし、幽霊かもしれないし、ただの勘違いかもしれないし。

ただ同時に、彼女が幸せならそれが一番なのかなと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もしかしたら急いでる?急いでも結局損しかしないから

どーもhappy boyです。

今日は常に幸せ全開の僕が思うこと、なんでそんなみんな急いでるの?

もうちょっと気楽にいこうぜって話をしたいと思います。

 

急いでる理由ってなに?

正直僕も前は何かにつけて急いで、焦ってました。その結果僕が招いたことは、周りに対するイライラ、自分に対する怒り、その結果自分を含め周りの知り合いも嫌なムードに。そしてストレスへ。

急いでいる理由って結局、自分が原因のことがほとんどで、自分の責任にも関わらず、なぜか相手まで不快な気持ちにさせてしまったりしていました。

結局急いだって良くない感情を生むだけでそんなに早く行けるわけでもないのに。

例えば僕の運転する車にあなたが乗っていたとしましょう、僕は信号待ちになる度に、「マジおっせー、早く行けよ!」とか言ってたりしたらあなたも”なんでこの人イライラしてるの?”とイライラするようになりませんか?そうイライラは感染するのです。

特に車の運転でイライラしても目的地に早く行けるわけでもないのですから、責めるべきはもう少し早めに出発しなかった自分を責めるべきですよね、冷静に考えれば。

だから思うのです、急いでいる理由は僕自身、そしてあなた自身にあるのです。

 

ちなみにさっきの車の例で言えば、今の僕ならこう言うと思います。今日は車が混んでるね、音楽でも聞きながらのんびり行きましょうか。

受け手の人も気持ちが楽になると思います。

 

急いだってトータルでみれば遅くなるんだよ。たぶん。

対照的に比較することはできないのでわからないですけど、急いでるときって結果忘れ物したり、失敗することが多くなると思います。車で急いで事故なんて一回でもしてしまえば、かなりの遠回りになりますよね。急いだって、早いことはない、結果遠回りしているだけなんだと思います。

 

もしよかったら、急いだりしないで余裕のある人生を送ってみてはいかがでしょうか。

 

パラダイムシフトって知ってる?名前カッコいいから今後使うことにした

どーもhappy boyです。

今回、先日友達から教えていただいたパラダイムシフトがかっこよかったんで、早速使ってみたいと思います。

パラダイムシフトとは?

ググってみました。(paradigm shift)

その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化することをいう。

拡大解釈された「パラダイム」は「認識のしかた」や「考え方」、「常識」、「支配的な解釈」、「旧態依然とした考え方」などの意味合いで使われている。

広義でのパラダイムシフトはこの過度な拡大解釈に基づいて都合よく用いられるため、厳格な定義は特になく「発想の転換」や「見方を変える」、「固定観念を捨てろ」、「常識を疑え」などから始まり「斬新なアイディアにより時代が大きく動くこと」まで、さまざまな意味で使われている。

 

これならかなり私生活でも起こっていると思います。

例えば、自分の兄弟、友達を出会い系アプリで見つけちゃったとき。

え?こんな一面あったんだ!パラダイムシフトした~。

例えば、めちゃめちゃきれいな人にあったけど、すっぴんは、え?うそ?そんななっちゃうんだー。パラダイムシフトした~。

例えば、冷蔵庫の飲みかけのコーラ飲もうとしたらめんつゆだった。ちょ、コーラのペットボトルに入れないでよ。パラダイムシフトした~。

 

これらは悪い例ですね。

 

たぶんほんとは毎日朝ギリギリまで寝ていた人が、何かに気付いて毎朝いつもより1時間早く起きて準備するようになったり。

お肉大好きだった人が何かに気付いて急にベジタリアンになったり、これはちなみ僕のことですけど。

常に僕のやることに批判しかしない両親が肯定的な意見を言うことがあればパラダイムシフトになります。

 

パラダイムシフトって言ってみたくないですか?

言うには起こすしかないんですよね。

人の粗探しまだしてるの?おつかれ。。褒め上手になりませんか?

どーもhappy boyです。

海外に2年半いて、テレビもエアコンもない生活もしていた僕が、実家に戻って久しぶりにテレビを見たときの感想をお話ししたいと思います。

 

暗いニュース多くない?

テレビ見てると暗いニュースがホントに多いですね。世の中って悪いことばっかり起きてるんじゃないかと錯覚しちゃいます。事件とかを報道して警報を鳴らすのはいいと思うんですけど、もうちょっといいニュースも報道されないかななんて思います。

これだけ悪いニュースが多いと自分のまわりも悪い人がいるんじゃないかと思って疑心暗鬼モードに突入してないですか?

例えば初めて会う人でも、この人悪い人じゃないかな?と相手の粗探しや、発現を悪い方に捉えがちではないですか?

これやってはたして何の意味になるのかと個人的に考えてみました。

まずこの発想になっちゃうと自分を偽ることになりますね。だって自分はそう思われたくないてことでしょ?そんな偽ってる人に対して相手が素を出してくれるとは思えないです。

もし僕が相手の粗探しをすれば相手は自分の悪いとこを隠そうとするし、それで表面上の付き合いをしたところで時間の無駄だと思うんです、なぜならどうせ素を出したところで相手は自分のことを判断するからです。粗探ししてる時間だけ自分を偽って、その時間は無駄になると思うんです。特に粗探ししてると、粗探し返しくらうので気を付けてください。

正直粗探しされて嬉しい人なんてそんなにいないと思います。

 

大阪なおみさんが全米OPで優勝しました!

純粋にすごいし喜ばしいことのはずなのに誰かは国籍とかよくわかんないこと言ってますね。そんなん別に気にすることじゃないと思います。そんなこと言ったら人種差別してますって自分でなのりあげてるみたいで、僕たちおんなじ人間なんで尊重し合いましょう。

 

褒め上手になる

とは言っても難しいと思いますよね。急に褒め上手になるのは正直難しいかもしれないですけど、その第一歩は相手のことを理解することだと思います。相手受け入れる、違う考えの人にあってもそれを理解しようとする。分からなければ質問する。そうすれば相手のいいところがきっと見えてくるのではないかと思う今日この頃。

普通って何だよ?普通にイライラしている人。海外へ行こう!

どーもhappy boyです。

今回は普通ってなんなの?それお前の基準じゃん!普通とかないよね?って思ってる人は海外に行きましょう。って話をしたいと思います。

 

そもそも普通て何なの?

わかりません。なのでググってみました。

普通とは、”いつ、どこにでもあるような、ありふれたものであること。他と特に異なる性質をもってはいないさま。”らしいですね。

ということは、民主義国家である日本の普通とは多数決で大多数の意見てことですね。

大多数の意見が正しい。少数意見は却下されます。

大多数の意見が正しいとは限りませんがこれが現実ですね。

だから普通って言葉を使うとそれが正しいっていうふうに聞こえるような気がします。

 

「これぐらいできるよね、普通。」これにイライラっしとことありませんか?

これは大多数の人はこれができる。あなたはできてない、間違ってる。てぐらいに聞こえます。ひどい。

でも、きっとこんないい方もできるはず。

「時間がかかってもいいから自分のペースでやり遂げよう」とか

「きっとこれは苦手なんだね、得意なものをしっかりやろう」とか

だってあなたは一人の人間で、個性があります。普通になるために生まれたわけではないと思います。

でもこんないい方をしてくれる人が多いとは思えません、正直。

だったら海外で働いてみませんか?

海外ではあなたの個性を見出し、あなたの個性を尊重してくれます。

こんなこと聞いたことありませんか?日本は叱って伸ばし、海外は褒めて伸ばす。

実際まさにこんな感じです。

東京オリンピックも近いことだし、この際英語を練習して、海外で働くことをお勧めします。英語が話せればあなたの世界は格段に広がり、選択肢も増え、あなたの世界は完全に変わります。