瞑想って何?瞑想するといろんなことに気付いちゃって逆に迷走

どうもhappy boyです。

今回瞑想なんてやってなんの意味があるんだよ!っと思ってた僕が瞑想をやってみたら案外いろんなことに気付いちゃって今は人生迷走中してることについてお話したいと思います。

 

①瞑想をはじめるきっかけ

②瞑想の気付き

③自分なりの瞑想へ

④自分への問いかけの結果

⑤そして迷走へ

 

①瞑想を始めるきっかけ

オーストラリアワーキングホリデイの終わりが見えてきたころ、日本に帰って何をして働くかの選択を迫られる。(この時すでに日本社会不適合者の資格を習得)もちろん前職の理学療法士に戻ることは可能ではあるが、日本社会の働きすぎな生活に戻りたくない僕は、自分のやりたいことは何なのだろうと考えるようになる。

そんなときに海外の友達が、瞑想にはまってるということを聞き、まーとりまやってみるか。ぐらいの気持ちで始めたのがきっかけである。

 

②瞑想の気付き

瞑想と言えばフォームが大切である。何も考えない、無に集中する。というのが当初瞑想門下生であった僕の意見である。

1回の瞑想を約1時間半として1日1回もしくは2回、朝必ず行い、たまに寝る前に行う。

朝の瞑想を終えた僕の感想。

正直頭がぼーっとする。朝ごはんよく食べる。こんなところであろうか。

瞑想を始めること約1か月、あることに気付く、瞑想の無は究極の無であってそれはただの無。ということである。これには賛否両論あると思われるが、あくまでも個人的な意見であって、もちろん正しいわけではないのでご了承ください。

 

③自分なりの瞑想へ

瞑想を始めて約1か月、僕はあることに気付く。このフォームて意味ある?なんで何も考えないの?なんか考えないとまずくない?瞑想自体に対する問いかけ(不満)

つまり我慢の限界である。

そして自分なりの瞑想の確立を試みる、フォームに対する固定概念を取り払い、以下の段階で毎回瞑想をするようになる。

自分って誰なんだろう、自分はなんで生きているんだろう、自分にとっての幸せは何なのだろう、同様に怒り、悲しみ、苦しみってなんだろう。自分の幸せや楽しいことを仕事にしよう、じゃあ今から何をしてすべきなのか。これを何回でも何十回、何万回でも永久的に繰り返す。

これが僕の確立した瞑想、つまり迷走の始まりである。

 

④自分への問いかけの結果

はたして今まで自分なりの瞑想を幾度と繰り返したことであろうか。

その結果ベジタリアンになり、好き嫌いがなくなり、ごみを捨てないようになり、もはやごみを拾うようになり、部屋を片付けるようになり、仏の心を身に付け、人、自然、食べ物、友達、家族に今まで以上に感謝するようになった。そしてまた旅を始めて、発展途上国へ行きボランティア活動を始めたいと思うようになった。

 

⑤そして迷走へ

日本に帰り、両親に自分の考えを伝える。両親は前職である理学療法士に戻り、結婚し家庭を築くことを熱烈に希望。それを説得する自分。家族の溝は今まで以上に大きくなった。さらに旅を再開するためには貯金が必要、仕事を探さないといけない。派遣会社の面接を受けコールセンターで働くことに。こんな生活がいつまで続くのだろうか?

理想とかけ離れた現実の壁を目の前にし人生迷走中である。